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和束町

和束町域の宇治茶の生産景観

和束町域は露地茶園と茶農家集落が一体となった土地利用と、江戸時代以来の宇治茶生産地の拡大過程を示す多様な山なり茶園の景観を見せる地域である。露地茶園を主とする宇治茶生産の土地利用と景観を代表し、かつ宇治茶生産の拡大過程を典型的に示している。

○石寺・撰原

地理

和束町西端の2集落で、町内では標高の低い地域である。和束川を挟んだ南北の山間に各集落が立地する。集落内を通る道はかつての奈良と信楽を結ぶ街道であり、街道に沿って集落が、そして集落の内外に茶園が広がる。

歴史

江戸時代より茶生産が行われていたが、かつては稲作や果樹栽培、薪炭業を同時に営む複合生業集落であった。石寺では果樹園が多く営まれており、戦後の増産に伴って集落正背面の山腹を開墾した大規模な露地茶園が形成された。

景観

街道沿いに茶農家が散在する散村で、集落内に水田と露地茶園が営まれる。両集落ともに集落近辺に大規模な山なり茶園を有しており、中でも石寺には集落と相対する山に天空に駆け上るような茶園が開かれている。両集落の茶園は京都府選定文化的景観に選ばれている。

石寺の山なり茶園

○釜塚

地理

和束町中央部に位置する茶業集落で、山裾には茶農家等が密集する集落があり、集落の背後に山なり茶園が、正面の低地には水田が広がる、煎茶生産地の典型的な土地利用が見られる。

歴史

江戸時代の和束町一帯は禁裏御料の「和束郷」で、釜塚は茶生産地として知られていた。戦後の増産にともなって茶園が拡大され、山の頂に至る大規模な山なり茶園や山中の茶園が開墾された。

景観

山なり茶園、麓の集落、低地の水田からなる地形に適合した典型的な茶業集落景観を見せる。集落背後の山を頂きに至るまで大規模に開拓した急斜面の山なり茶園は、京都府選定文化的景観に選ばれている。

釜塚の山なり茶園

○原山

地理

鷲峰山南麓に広く形成された斜面に立地する集落で、和束川に沿う街道から一段上がった標高の高い位置を占める。南面する斜面を斜行するように街道が通り、街道に沿って茶農家が密に立ち並ぶ。集落の周囲を取り囲むように茶園が広がる。

歴史

中世山岳寺院である鷲峰山金胎寺の麓集落である。金胎寺の活動の中で原山には和束の中で最も早くから茶がもたらされたと考えられている。

景観

急な斜面に形成される茶農家集落には数多くの手揉み製茶用の二階建て茶工場が残されており、妻面を強調した独特の景観を見せる。集落周囲に広がる山なり茶園は京都府選定文化的景観に選ばれており、円形茶園のような印象的な茶園景観も見られる。

原山の大規模な茶園

○湯船

地理

和束最東部の山間地に位置する集落で、和束川沿いに通された街道に面して複数の集落が形成される。豊富な山林資源を背景に、林業、稲作、茶業の3つの生業が複合的に展開されてきた。

歴史

林業を主産業として財をなした集落で、その財政基盤を元に茶生産が行われた。原山同様に和束町内で早期に茶生産が開始され、近世の段階から上質な煎茶の生産地として知られていた。

景観

2階建ての手揉み茶工場を有する茶農家の屋敷が群として残されており、宇治茶の生産集落を代表する集落景観を見せる。小規模な茶園が集落背後の山裾などに点在し、近世以来の伝統的な茶生産の景観を今に伝える。

湯船集落