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宇治市
宇治市域の宇治茶の生産景観
宇治市域は覆下栽培の開発による日本固有の碾茶(抹茶)の誕生、そして玉露の開発がなされた、日本の緑茶生産史上の核をなす地域である。茶問屋・茶農家の町並みや中宇治・白川の覆下茶園の景観にその歴史が体現されている。
○中宇治
地理
琵琶湖に発する宇治川が丘陵から平地に流れ出る地点にある中宇治は、朝霧のかかる気象や扇状地の地質に特徴がある。この条件を生かして、古くは平安貴族の別荘地が営まれ、新しくは宇治茶生産が展開された。
歴史
平安時代に貴族の別荘地となり、格子状の街路が形成された。茶栽培は鎌倉時代に始まったとされ、16世紀後半に他地域に類をみない覆下栽培の方法が開発され、質の高い碾茶などを生産してきた。また、同じ頃から茶業を取り仕切る茶師が頭角を現し、江戸時代を通じて抹茶などの高級茶の製造と販売を独占し、宇治独特の茶文化を育んできた。明治時代以降は茶師に代わって台頭した茶商が屋敷を構え、宇治茶の栽培、製造、販売の全てを行う地域として栄えた。
景観
宇治橋通りを中心に、戦国時代からの宇治茶業を取り仕切った茶師の旧宅や茶問屋、茶農家が立ち並び、茶の製造と販売を行う茶業街を形成する。かつては市街地の裏手に扇状地の地形を利用した茶園が広がっており、現在も市街地内や宇治川河川敷、段丘上などに本簀及び寒冷紗による覆下茶園が営まれている。中宇治の市街地と周辺の覆下茶園は国の重要文化的景観に選定されている。
○白川
地理
中宇治から山一つ隔てた谷筋に広がる茶生産集落である。谷筋に沿ってのびる通りに茶農家が建ち並び、集落背後の山裾及び段丘上に棚田や茶園が広がる。
歴史
12世紀初頭に創建された白川金色院は、中世には16の坊が営まれ、現在も惣門と九重石塔が残されている。また金色院の鎮守社とされる白山神社には鎌倉時代建立の拝殿(国重要文化財)が建っている。江戸時代には茶生産集落が発達し、金色院の坊跡は棚田や茶園へと転じた。
景観
谷筋の通りに沿って敷地内に茶工場を有する茶農家が立ち並ぶ。古くは通り沿いに茶工場を構えたが、昭和初期以降になると敷地奥に茶工場が引き込まれ、大型化する。集落の背後には棚田と覆下茶園、露地茶園が広がり、茶園内には柿の木が点在する。山の裏手に位置する上明には、本簀を含む覆下茶園と露地茶園が谷を埋め尽くし、柿の木が彩りを添える茶園景観が広がる。茶園は国の重要文化的景観に選定されている。